今のようにインターネットが普及していない昭和50年代のことです。
高校受験時の私は、母子家庭での経済状態や地元集中という制度の影響で、
進路について大きく悩み考えることになりました。
いくつかの選択肢の中で、
たった一つを選ぶという経験が、自分自身を大きく成長させてくれました。
そしてこの経験は、後の人生での決断力や行動力に影響を与えたと今でも感じています
●●生活環境~母子家庭●●
私は母子家庭で育ちました。
今こそ母子家庭は多くなりましたが、当時は1学年に数件くらいの珍しい環境でした。
もちろん経済的に恵まれているはずもありません。
私立受験が難しいことは中学生だった私にも充分わかっていました。
具体的な目標があるわけでもない私は、
将来についてもあまり真剣に考えていませんでした。
残念なことに、同級生には裕福な家庭の子供が多く、私とは状況が違いすぎると感じていました。
また、私は昭和41年、丙午生まれです。
昔から生み控えをされる年で、受験数が少なく有利と言われました。
しかし実際には合格予定数も減るので、それほど実感はありませんでした。

●●高校進学の大切さ●●
経済的な状況が厳しいからといって、
中学を卒業したらすぐに働く時代でもありませんでした。
ほとんどの人が高校に進学するのです。
卒業後に就職する場合でも、
同時に夜学(夜間の高校)に進学する人がとても多かったのです。
ただし、夜学は継続が難しく、中退率がとても高いのが特徴です。
経済的な問題を持つ私にとって
働いてお給料もらうことには魅力を感じました。
選択肢の一つでもありましたが、
飽きっぽい性格なので、夜学は無理という結論になりました。
そして、昼間の高校へ進学することに決めたのです。
私が受験できるのは公立高校1校のみです。
もちろん経済的なことが理由です。
高校受験では、多くの人が私立高校と併願する中、
私は公立一本で「勝負」しなければなりませんでした。
滑り止めに私学を受験できないので、確実に合格できる高校を選ぶのです。
ここで「勝負」と表現するのは大げさかもしれませんが、
どの高校に進むかは私の将来を決める大きな選択なのです。
●●受験制度~地元集中~●●
『地元集中』という言葉に聞き覚えのある人もいるでしょう。
聞いたことがない人も多いかもしれません。
『地元集中』は私が住む地域の同世代の人達にとっては無視できない言葉なのです。
Wikipediaで調べてみると、
一部の公立中学校(大阪府の特定の地域)で行われていただけのようです。
しかし、当時の私は全国で行われている制度だと思っていました。
この制度の目的は、「高校間の学力格差を解消する」と聞いていましたが、
結果的には伸びる子どもを地元集中で閉じ込めてしまうことになりました。
地元集中は個人の考えを無視した制度で、
指定された公立高校を受験することが当然のように決められ、
別の高校の受験を希望すると進路指導室に呼び出され、
説得されることも珍しくありませんでした。
(地元集中は1990年代に廃止されました。)
●●進路の選択肢●●
中学生の私は、奨学金という制度を知りました。
日本育英会、大阪府育英会、そして市の育英会から給付を受けることが後に決定します。
市の奨学金は卒業すれば返還不要で、
それ以外は卒業後は年に2回返済していくことになります。
この奨学金が、後の大学受験への可能性を作るきっかけになりました。
将来の目標もなく過ごしていましたが、
ある時、最短で准看護婦の資格を取れる高校があると知りました。
学科は衛生看護科です。
その高校の文化祭に出かけてナース姿を見たとたん、私の目標は決まったのです。
「将来は看護婦になろう!」
しかし、大きな問題がありました。地元集中です。
同じ中学から過去に受験者がいないため、
受験する場合は私立と併願して欲しいと言われました。
そして、できれば無難に地元の普通科の高校を受験して欲しいとのことでした。
探してみると、私立で衛生看護科がある高校を1校だけ見つけました。
しかし、全寮制の学校であり、経済的には絶対に無理です。
私は最後まで悩みました。
●●友達の影響●●
友達の1人が私立の難関校を専願で受験することになりました。
合格したら併願なので公立の進学校を受験する。
もし不合格だったら確実性を考えて地元集中の高校を受験するというのです。
私は彼女の「賭け」にのりました。
彼女が私立高校に合格したら、私は衛生看護科を受験、
不合格だったら一緒に地元集中の高校を受験することにしました。
これが当時の私の精一杯の決断でした。
●●最終的な決断●●
友達の受験結果は不合格でした。
私たちは地元集中の高校を専願で受験することに決めました。
そして、無事に合格し、春を迎えました。
高校受験のことで、たくさんの苦悩がありましたが、やっと解放されたのです。
次に看護婦を目指せるのは高校卒業後です。
一度、決めた目標を維持できるのかは微妙でしたが、それはそれで良いのです。
今回の進学に関する決断をしたのは大きな成長だったと思います。
これから先、たくさんの出来事があり、
その都度、自分で考えて決断していくことになります。
私が高校受験で得た最大の学びは「決断力」だと実感しています。

●●最後に●●
高校受験時の苦悩を通じて、自分の進むべき道を見つけることの大切さを学びました。
自分自身で決断することが自己成長に繋がります。
そのことをあの時、確かに実感したのです。
今思い返すと、この時が人生初めての大きな決断でした。
この日から既に40年が経過しています。
今でも時々、当時のことを懐かしく思い出します。
今のようにインターネットが普及していたら、別の判断もあったかもしれない。
情報の少ない時代の中学生、その時の私を褒めてあげたいです。
haruka_moon著
